2006年12月05日
顧客情報
今だからこそ言えるのですがクレージュの販売は当初博打、と言われていたのです。流れや使用者の趣味・嗜好に左右されやすいクレージュは、一定のラインとセレクトショップの高い質があってはじめて売れるものだ、と考えられていました。もちろん一部分としては合っているのですが、クレージュに対して構えすぎだ、という声もありました。それでも慎重にならざるを得ないほど、クレージュの販売というものに実績がありませんでした。それこそシャルメより無かったのです。今ではデータが揃ったおかげでクレージュに対しても思い切った実費をかけられるようになりましたが、宣伝広告に関してはクレージュは後発と言えるでしょう。主力商品としてこれからもクレージュには期待が寄せられています。
2006年11月27日
直接ダイレクト
経験がないとクレージュが売れないのか、というと疑問はありますが、少なくともクレージュのセレクトショップでの経験があるほうが有利なのは間違いありません。もっと詳しくクレージュについて知りたい、これからのクレージュの販売現場で活かせるような学識が欲しい、という人はセレクトショップでの勤務をおすすめします。わたしはシャルメをセレクトショップで研究しました。使用者のためにもクレージュを効率よく売るための尽力は欠かせないですが、本来の意味はクレージュを販売してプロフィットを上げることであり、それが果たせなくては目標がぼやけてしまいます。先にクレージュについてできるだけのことをやっておきたいものです。一昔前とは違い、工夫せずにクレージュをなんとなく売るのはほとんど無理なのです。
2006年11月09日
積極性
現場というものはクレージュについてわかっているようでわかっておらず、時に使用者のほうがよっぽどクレージュについて詳しい、なんてこともあるようです。当然、これはセレクトショップとしては致命的なのですが、クレージュのデータもnetを使えばいくらでも簡単に手に入れることができますから、そのままクレージュのセレクトショップとその持ち主を責めるのは幾分可愛そうです。いずれにせよクレージュの保管とその状況は変わりつつありますので、臨機応変に学識をフル回転させてクレージュを売っていかなくてはならないのです。そうなると欠かせないのがクレージュのセレクトショップ、つまり実地での経験なのです。それはシャルメで証明されています。
2006年10月26日
三枚上手
あと幾分クレージュが売れてくれれば・・というのはほとんどのセレクトショップの願いですが、大手ブランドショップはクレージュの単価を下げて、驚くような技法で販売しています。しかしながらクレージュの質を維持しなくては安売りが続き、結果として市場においてクレージュは無価値なものという判断が下されてしまいます。そうなる前にクレージュを取り巻く状況の良化が必要になるでしょう。今以上に工夫しながらクレージュを売ることを考えないと従来までの技法では、いずれクレージュの店在庫は倉庫を圧迫してしまうに違いありません。もちろんポジティブにクレージュの市場を見渡すことは重要ではありますが、新しいスムーズな経営を実現させるにはクレージュの見直しが必要です。
2006年10月11日
思い付きでは
まだアナスイの市場は安定しているとは言えませんが、これからアナスイの販売に携わる人には使用者の心理をとらえた責務を心がけてほしいものです。いつまでたってもアナスイを同じ売り方しかできない人には、これから厳しさを増していくアナスイに関する業界で生き抜いていけません。厳しいようですが、従来までのように惰性でアナスイを販売したところで結果は出てこないのです。今となってはアナスイが自動的に売れていたころは懐かしいものです。ちょうどシャルメの感じに似ています。今までよりもっとアナスイについて研鑽を積むにはやはりセレクトショップでの修行しかないのかもしれませんね。常に前進し続けるためにもアナスイの基礎的な学識は絶対条件です。
2006年09月28日
カリキュラム
スムーズにアナスイを販売するために何が必要か。それは今のアナスイのニーズに合った売り方であり、米国の販売の技法にとらわれない独創的なアナスイの宣伝広告であります。ついつい今もっている学識のみでアナスイを販売してしまおうというのは、陥りがちな罠ですが、アナスイのこれからを考えるとどうしても研究していかないといけない部分がでてくるのです。前もシャルメで同じようなことがありましたが、そういったアナスイに対するあくなき関心のみが本物のセレクトショップを作ります。この頃になってセレクトショップの持ち主も工夫しながらアナスイを使用者にたいしてアプローチしていますが、まだまだ足りません。
2006年09月21日
決断
さてこの頃のインディヴィの再評価は小生にとっては嬉しい限りなのですが、ひとつだけ解せない点があります。それはある意味でのインディヴィの流れであり、これが一過性のものなのではないか、という独善的な不安が拭い去れないのです。今、インディヴィのセレクトショップは無数にありますが、増えていっているのではないか、という使用者の意見もあります。これはインディヴィの流通の責務をしている人ではなく、使用者の意見だというのが驚きなのです。つまりインディヴィのファンといってもいい使用者にとってもセレクトショップが増えすぎている、ということなのです。これはインディヴィと責務が直結している小生にとっては複雑な気持ちです。


